ミュージカル『刀剣乱舞』 ~つはものどもがゆめのあと~
すごい今更になりましたが1月13日土曜日、夜公演に行ってきました。
ステの方はなんだかご縁がなくて会場に入ったのは虚伝の再演1公演のみなんですがみゅの方はわりとご用意いただけて、初演阿津賀志山の本公演のみ欠席というほぼ皆勤賞で観させていただいてます。ありがてえ。
(ちなみに阿津賀志山本公演はトライアルみたからいっか、くらいの気持ちで欠席しました。バカ)
ちなみに真剣乱舞祭のメモ帳でも書きましたが、源氏兄弟については本公演より先にあちらで初めましてしています。ちゃんとお芝居してるのみるのは初めて。
出来がいいのは重々承知していたのでとってもたのしみでした!ヤッタネ!
※お話の展開上ちょっと三日月おじいちゃんに対して厳しいですごめんね。
※まりおはわるくないよ!(悪く言ってるわけてはないです)
納得がいかねえ。
(はやい)
いやちがう、ちがうんだ、うーーーーーんちがわないな…ちが、うーーーーん…。
阿津賀志山でも一度みていますが、あらけんさんの我が君としゅんやくんのいまつる(もちろん弁慶さんと岩融も)のお話は基本的にだいすきだしなんかもう絶対泣くじゃん?ていう感じだったんですけれど、今回は三条非実在刀たちの「存在」そのものにもスポットが当たっててもう苦しくて苦しくて、三百年の終盤ほどぼろぼろ泣くようなことはなかったにせよ、いつ決壊してもおかしくないダムを2時間強補修し続けるみたいな持久戦でした。
いや結局いまつるの「ぼくも(義経公に逢うのは)はじめてです」(うろおぼえ)で一瞬にしてしぬんですけれど。
いや、いや耐えられるかよ。むりだろ。その一言に収束するための2時間だったとしてもこれは、これはむり……。
あっでも納得がいかないのはそのへんのことではなくて。
何を隠そう(隠してない)三日月宗近のあの行動についてでして、これちょっと贔屓目でもいいから誰か解説してほしいんですけれど、私にはどうしても今回の三日月宗近と、初演(トライアル、本公演)の三日月宗近が同一個体だとは思えんのです。
原作ゲームの方にまったく動きもくそもないので(※突然の殴り込み)今以上これ以上のキャラ設定の理解もなにもないんですけれど、私自身、三日月宗近っていうキャラクターには「こわい」っていう感覚があって(恐怖ではなく畏怖)そりゃビジュアル的にもあんだけ美人に描かれているししゃべるととりうみこうすけだし刀としてのあれそれがありますので。ね。(ふんわり)
初演と2016年の真剣乱舞祭では明らかに「神」寄りで描写されていたと思っているんですが(2017についてはスポットが三百年キャスト寄りだったのであまり認識していません)今回のつはものについてはそうじゃなかったと感じています。
脚本の人代わった???とおもって初演のパンフあさりにいってきましたが代わってませんでした。
月の明るい部分とそうじゃない部分、見えているのは月だといえるけど、そうじゃない部分は何になるんだろう。
そういうことを髭切がセリフとして言っていたけれど、間違いなく今回はその「光の当たっていない部分の月」のことで、神ではない三日月宗近を見せられたのだろうなと思って「は」います。
だけどあれが許されてしまったら初演で今剣が向き合ったアレはなんだったのか。
あれがあったからこそ今回の今剣があったはずなのに、あの時の今剣をみていた三日月宗近が(あれからどのくらいの月日が経過しているのかどこにも説明がなかったからわからないけど)たった数ヶ月もしくは数年であそこまで弱ってしまう理由がわたしにはわからなかったです。ここんとこだれか説明してほしい。
三日月宗近の二面性を出したかったのか、はたまた本当に別個体なのかわからないけれど、あまりにもあっさりと崩れてしまった神性にちょっとがっかりしてしまった。ような気がする。
あと確認したくて阿津賀志山(本公演)観返してみたんですけれど、三日月おじいちゃんの小狐丸に対する呼称って最初から「小狐丸"殿"」でしたっけ。
なんか私の中では「小狐丸」って呼んでたような気がしてて、公演中ずっと違和感がありました。
しかも途中でちゃんと「小狐丸」って呼ぶ箇所もあった。
そういう細かいところでも、光と陰みたいなものを演出してあったのだとしたら、やっぱり今回の三日月宗近は、初演の彼とはまた別なんだろうなと思います。個体的にというか、精神的にかな。
人にあてられた、というか、弱い部分の、なんかそういう感じ。
だけどせっかく源氏兄弟を出したんだから「存在」に対するトリガー的な使い方ではなくてもっとメインにおいてほしかったなっていう気持ち。
極修行の流れがあるにしても、義経公と今剣のお話はひとくぎりついているわけだし、劇中の歌唱パートもそんなわけで三日月さんばっかりでなんだかちょっともったいなかったなって思います。
歴代3作品とくらべてしまうとどうしてもそう表現せざるを得なかったかなあ。
トライアルから初演、actシアターライブ、乱舞祭2作と今回の公演で三条組については一番出演数が多いわけで、そりゃ役者の成長もすごいわけですよもう2017年らぶふぇすメモでも言ったけど北園くんとかもうめっちゃすごいびっくりするしぬかとおもったレベルでおうたの質が全然違う。しゅんやくんも歌唱パートのキーをだいぶあわせてもらえたからかとても歌いやすそうだったし彼自身もすごく安定して表現できてて安心したところある。めっちゃえらそうなこというけど大事にされてんのすごいうれしいだろ!
それでまあなんか結局のところ「イイハナシカナー?」みたいな感じで終わってしまって「えっ!?!?!なんて?!!?!」みたいなそんな感じだったんですけどみんなどうだったんだろう。人の感想も知りたい。
ちなみに私は本編の脚本でいうとダントツで三百年がすきです。
一番観たのは天狼伝なんだけどね。
以下ライブパート感想です。
もうよく覚えてないからインパクトがとんでもなかったから客降りのときのはなしだけするよ。
当日2階席だったんです。事前についった検索してたら「客降り、ちゃんと2階にもきてくれるよ!」ていう話だったんでわ~い姿がみれるなら嬉しいや~くらいの軽い気持ちで行きました。
そしたらなんか客降り曲で歌い出しが誰かによって2階に来るキャストがきまってるらしいじゃないですか。
本編だとだいぶ添え物のようにされてしまっていた源氏兄弟だいすき審神者としては誰でも嬉しいけど兄弟きてくれるといいな~ぐらいの気持ちでかまえていたらまんまとご兄弟でした。
しかも近い。いや、やや通路よりとはいえ列中だしと思って油断してたけど1.5mくらいしか離れてなくて兄者のみうらくんめっちゃ顔綺麗だしめちゃめちゃ人の顔見渡すしめっちゃ笑顔でファンサするっていうより見渡したついでに真顔でハート投げとくみたいなそういう感じでまず死んだ。キャラ的にみるとお兄ちゃんの方がにこにこしてんのにそういうとこでそういう面だしてくんのほんと心臓にわるい。
ちなみにこの人「他人に向けられたファンサはもれなく自分のもの」だと思ってるおめでたいあたましてるので普通にしにます。心構えが自殺行為です。
弟者のたかのくんもお兄ちゃんと交代で同じとこきてくれたけど顔の造形がよすぎて直視出来ないし客降り立ち位置の両サイドのお席ちゃーんとぐるっと見渡してまたこれお兄ちゃんとは逆でなんかの拍子ににやってわらってファンサとばしてくんのはあ~~~~~~~~~~????????て感じで3回くらい天を仰いで座席の背もたれにあたまぶつけたきがする。
立ち位置交代するとき2階通路の中央で後ろの席の方むいて肩くんだり弟くんのヘッドセットマイクに近づいて歌ってみたりしてたけど(2階前方列からは後ろ姿しか見えてない)顔がみえなくても顔が良いのがわかった。びびるわ。
あとみうらくん、てにみゅで跡部さまやってたのを思い出していやこんな可愛い顔立ちの子がべさまやんの?なんかちがうくない?だってかとうかずきとくぼたゆうきとそういう顔よ歴代???えええ??てちょっと半信半疑みたいなとこあったけど今回髭切お兄ちゃんとして歌っててよ~~~~くわかりました。
あれは跡部景吾できるわ……。理解。
大千秋楽の配信を買うかどうか今ちょっと悩んでるんですけど書いててもう一回確認したいこととかたくさんあったので買うようなきがする。
もしかしたら追記します。